『テーマ・立て掛けてある杖』 2007/7/4




「おまえが汽車の原理を熟知しているのはわかった
が……知識だけさな」
 苦い表情で父上が言った。
「最新の学術書から勉強しました。間違ってはおり
ません」
 内心ムっとしながら私は反論した。
 知識だけと言われればその通りだ。私の内の大半
は分厚い本の文字でできている。
「まぁ……なんだ」
 父上が頭をボリボリと掻きながら、バツが悪そう
に着物の懐をまさぐった。
 家柄に相応しくないと母上が嘆くその癖が、私は
嫌いではなかった。
「ん」
 父上が変な声を出しながら、一枚の封筒を私に押
し付けた。
「とりあえず乗ってこいや、坊主」


「こんなものがほんとに走るのか……」
 汽車の重厚な存在感に緊張しながらタラップを踏
み、豪奢な客室車両に入った矢先のことだった。
 踏み出した足に何かが当たり、からんと乾いた音
が車両に響いた。
 古めかしい杖が、板張りの床の上で跳ねた。
「こ、これは失礼しひゃした」
 慌てて杖を拾う。
 私は無様に驚いてしまい、口もうまく回っていな
かった。
 どうやら席の脇に立て掛けてあった杖を蹴っ飛ば
してしまったらしい。
 列車デビューいきなりの大失敗だ。
 これは叱責されるだろうと身を縮こませていると、
杖の立て掛けてあった席からクスクスと笑う声が聞
こえてきた。
「ん……それ……わたしのです……んくっ……気に
……しないで……」
 流行の振袖を着た若い女性だった。肩をヒクつか
せながら顔を背けている。
「す、すいませんでした。ここに立てておけばいい
ですか?」
 私は平静を装って杖をそっと置く。
 震える手が杖に当たり、またもからんと音が鳴っ
た。
 全く平静を装えていない自分に絶望した。
「ん……んん……んんんんーっ……」
 女性は座ったまま革靴を履いた両足をバタバタと
浮かせ、体を丸めて震える。
 私以上に様子がおかしい。
 この女性も始めての汽車に緊張しているのだろう
か。
 そうとなれば、わたしは杖を持ったまま、女性に
声をかけた。
「あの……お加減は……」
 裏返った私の声を聞いた女性がバネ仕掛けのおも
ちゃの様にビクンと揺れ、私を見た。
「ふっ……ふふ……ご……ごめんなさい……でも…
…あなたおかしくって……ひ……もうだめ……あは
っあっははははっあはーーーーっ!」 
 突然の大爆笑に呆気にとられる私をよそに、汽車
が出発の汽笛を鳴らした。
 女性の笑い声は汽笛に負けていなかった。


「もう、参っちゃったわホント。ひゃがツボに入っ
ちゃって……ゴメンあそばせ」
 それまでとはうって変わって優雅に微笑む。
 いつまで経っても笑い続ける彼女に呆れ、杖を置
いて自分の席に着こうと切符を見てみれば、私の席
は彼女の隣であった。
 涙を流して腹を抱える娘と言って差し支えない女
性の前をすり抜け席に着き、私はようやく一息つけ
た。
 彼女の笑い声が静かになったのはしばらくしてか
らだった。
「いや、こちらも大事な杖を蹴っ飛ばしてしまって
申し訳ない」
「いえいえ、いいんですのよ、お婆様からの借り物
ですから」
 それじゃ尚更マズイのではと思いつつ、私が頭を
下げると、彼女も朗らかにお辞儀をした。
 どうやら思ったよりも素直で頭の良い娘さんらし
く、私達はガタゴトと揺られながら、会話を楽しん
だ。
 窓からは白いレースのカーテン越しに日光が射し
込み、ガラス細工のランプを燦然と輝かせた。
「最近は流行の服を仕立ててもらうのだけで精一杯」
「確かに今までにない色彩が流行ってきてるね」
「でしょう! お父様も学生の癖にってお金出して
くれないし……学生だから必要なのにぃっ!」
 彼女は外国製の革靴で床を踏み鳴らした。
 確かに彼女は流行りに相当敏感らしく、身に着け
ているほとんどが最先端の一級品のようだった。
 貿易商の知人に見せてもらった広告に描かれてい
た品物ばかりだ。
 どうやら相当の金持ちの令嬢らしい。
 しかし疑問が残る。
「一つ聞いていいかな?」
「なにかしら?」
「その……女性が杖を持つのは流行っているのかい
?」
「あら、なかなか鋭いわね」
 彼女は杖をさすりながら、得意げに言った。
「これから流行るのよ。昨日、お爺様から聞いたの。
西洋では杖を持つのがお洒落の基本だって。確かに
私も、あっちの絵画を見て、みんななんか持ってる
なぁとは思ってたのよね」
「…………」
「女学生でこれを知ってるのはきっと私だけよ。だ
からお婆様の杖を借りてきたのよ。最初はなんか違
和感あったけど、きっとみんな真似しだすわ」
 彼女は立ち上がり、んふんと鼻息を荒くして熱弁
する。
 如何に杖が素晴らしいか語られながら、私は散々
迷った挙句、彼女の勘違いを指摘することにした。
「傘」
「……ん?」
「傘……じゃないかな。女性が持ってるのは……た
ぶん絵に描いてあるのも傘だと思うよ」
「…………」
 彼女は座席に音もなく座り、黙って私の顔を見つ
めた。
 怒るだろうか。蔑むだろうか。
 泣くよりはいいかと私は覚悟を決めた。
「う……」
「う?」
「うふ、うふふふふ……あは、そっか、傘なんだぁ
……あは、わたしって……馬鹿……馬鹿だーっあは
っははははげひゃひゃひゃひゃっ!!」

 時は大正ハイカラ時代
 乙女心は汽車より剛し












 了


<寸評>


無念 Name としあき 07/06/29(金)22:09:30 No.47037505   
>[f273897.txt]
障害娘かと思ってちょっと期待しちゃった俺死ね
雰囲気は良いけど、落ちが今ひとつな感じ。
まず小道具ありきの作品だからかな。 

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:10:21 No.47037569   
>[f273897.txt]
なんか最初はエロ展開かと思った
もうちょっと深入りさせれば
女性のキャラも立った気がする 

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:13:16 No.47037843   
>[f273897.txt]
なんかセリフ回しに最後まで
違和感が拭えなかったな
女の子はぶっ壊れてて面白いけど

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:14:30 No.47037952   
>f273897.txt
書きたいことはわかるけど、
ちょっと支離滅裂だったかなと思う。
そも、冒頭の父との会話が生かされていないのが残念。
あと女性の台詞が現代っぽくて萎えたよ

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:15:06 No.47038015   
>[f273897.txt]
一通り読んでから考えてようやくオチが理解できた
オチが弱いせいもあると思うが、
もう少し伏線部分に厚みを持たせたらどうか

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:17:37 No.47038247   
>[f273897.txt]
No.47037505も言ってたけど、落ちが。
何かしら男の勘違いもあると良かった。
あと、大正時代だと汽車って
もうそんなに珍しくないんじゃないかな。

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:17:57 No.47038282   
>ただ笑い声が怖ェ
それは俺も思ったけど、話の展開上お上品な笑いだと
インパクトが弱まるのに繋がりそうにも感じる気もする

無念 Name としあき 07/06/29(金)22:20:24 No.47038486   
むしろこの娘が、杖蹴られて怒ってた方が、
展開作りやすかったんじゃないかな

 







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